ゼカリヤ書 4:1-10
大いなる山のような問題
ゼカリヤ預言者が見た幻は2節にあります。 五番目の幻です。ゼカリヤはその幻の内容を知っていた。
難解な内容ではなく、少しは理解できる内容であった。 メッセージのある幻であった。
当時の人々にとって、この幻がどのようなメッセージであるかを知っていた。2節「彼はわたしに、「何を見ていたのか」と尋ねたので、わたしは答えた。「わたしが見ていたのは、すべてが金でできた燭台で、頭部には容器が置かれていました。その上に七つのともし火皿が付けられており、頭部に置かれているともし火皿には七つの管が付いていました。」ここでは「金でできた燭台」と書かれていますが、黙示録2:1節「七つの金の燭台」となっています。
つまり、これはキリスト者は世の光であることであります。つまり、世の闇を照らす聖人たちの光の役割を伝えるメッセージである。純金灯台は、光を放ち続けるために、オリーブオイルを七つの棺に注入する。
その油は、その光を照らし続けるために供給される力である聖霊の力、象徴している。二つのオリーブの木- 世界に向けた神の民の役割を象徴する王と祭司の象徴である。そして2つ出てくるが、実際には総督スルバベルと大祭司ヨシュアを象徴している、大祭司ヨシュア- 私たちの王となり、油注がれた(大祭司)メシアであるイエス・キリストが、聖徒たちに聖霊を送る姿であります。
コロナ時代以降、教会で礼拝ができなかったことがあったが、今は戻ってきた。再び回復し、教会で礼拝を捧げるようになったのである。今、私たちも神中心、信仰中心の共同体を再建しようという働きが起こらなければなりません。これまで教会共同体が活動できず、家庭の機能が麻痺している家庭であれば、家庭共同体で教会共同体として再び起こそうということである。神は依然として私たちの神である。コロナで緊急事態にも教会には来れなかったが、神は依然と教会を健康にする使命を私たちが受けたのである。
ゼカリヤが見たこの幻は、今日、私たちも礼拝の席に戻った私たちに、信仰共同体として再興する使命を与えている使命を与えてくださる。