(野外礼拝)
いつも喜ぶ人
テサロニケ(一)5:16
私たちは一般的に、どんなことがあっても、主が与えた十字架だと信じて我慢するように教えられます。
このようなことを私たちは十字架コンプレックスと言います。主が私に従うなら自分の十字架を背負って従え、主が十字架につけられた時、両手と両足がどれほど痛かったのだろう?
しかし、私たちがこれを間違えると、かえって精神的なストレスになります。私たちも聖徒が相談に来ると、他の人がどんなに辛くても、主の十字架を思いながら、今自分が負わなければならない十字架は何なのか、辛くても我慢するように勧めています。無条件に我慢して生きろと言われたら、この聖徒はどれほどつらいでしょうか。 神様を信じていても、いつも心の中には不安と心配、喜びというものは少しもない。
喜びがない人の特徴は伝道ができません。 自分が喜んでいないのに、自分の姿を見て誰が教会に来るだろうか?ある聖徒は、神様を信じてとても喜んでいます。 ですから、このような人は、周りにいる困難な人たちに
喜びを経験したからこそ、責任を持って福音を伝えます。
イエス様を信じるとこのような歴史が起こると証言もします。カソリックは我慢と忍耐を多く教えるので、ほとんどの人は服を着ても黒、そしてミサの帽子をかぶって、地面ばかり見ています。地面ばかり見ていることが多いです。 しかし、教会は説教者を見て、アーメン、ハレルヤと言いながら喜びを味わいます。プロテスタント教会ではアーメン、喜び、栄光、感謝、こういう言葉をたくさん使います。皆さんは誰と食事をすると気分が良くなりますか? 笑顔の人と印象の良い人、憂鬱な人と?
カトリックでは、派手な格好をしてはいけないと思います。プロテスタントは礼拝に出るとき、お祭りに行くときと同じように、してきます。最高の良い服を着て神様の前に行くそうです。私たちの主も喜びをたくさん強調しています。いつも喜ぶ人になりましょう。
久しぶりの野外礼拝が喜びの人になりましょう。