マタイ書6:11節
先ずは祈りから
祈りとは、自分の意志を実現するためではなく、神の意志と自分の意志が収束されることであります。
神のより大きな御旨が私の思うことに近づく過程であると言えます。私たちの主は弟子たちに主の祈りを6つに教えてくださったのであります。今日の本文は、日用の糧に関する祈りを教えてくださいます。教父の時代にも多くの学者がこの部分の解釈をめぐって多くの悩みを抱えていたそうです。オリゲンという教父は、日用の糧という言葉のギリシャ語がマタイ福音書とルカ福音書だけに現れるというのです。だからこの言葉はマタイが自分の言葉で記録したものであります。そのため、当時の教父たちはこの言葉を解釈することに抵抗があったそうです。聖アウグスティヌスもこの言葉は、私たちが毎日食べる肉体的な糧ではなく、霊的な糧として教えたものであると教えてくれたものだと言います。
しかし、宗教改革者であるジョン・カルバンは、この部分を超物質的に解釈するならば、間違った解釈である。私たちの必要のために当然祈るべきことを主が教えてくださった祈りである。私たちの欲望を満たすために祈れということではないのです。私たちの切実な必要のために祈れということであります。何を教えて下さったの
ですか?明日祈るのではなく、今日祈れということであります。私たちの日常生活の中で、どんなに急なことがあっても、今日祈れということであります。私たちが急いでいたり、忙しければ、祈りを休むことになります。
私たちがものすごく急なことがあったと想像してみてください。その仕事を処理しようとするのではなく、じっと座って祈りを先にするでしょうか?
本文から、私たちに日用の糧を与えてください。今起こったとても急なことよりも、祈りを先にすることを教えてくれています。例えば、子供が病院で事故を起こし、病院の救急室にいるとしたら、まず病院に駆け込みます。しかし、私たちの主は、まず祈りなさいと言われます。それよりもっと緊急なことは、祈りからと言われます。
日頃、先ずは祈りからと言う習慣を持ちましょう。