苦難週間・棕櫚主日
十字架で勝利
コロサイ2:8-15
本日は棕櫚主日であり、今週は「苦難週間」とも言われています。8節「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。」、コロサイ教会の信徒を惑わしたのはむなしい哲学と世を支配する霊でした。9節「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、」
10節「 あなたがたは、キリストにおいて満たされて
いるのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。」
ヨハネ1:16節「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」
エフェソ3:19節「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」
11節「あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、」
ここでパウロが言いたいのは霊的な割礼のことです。
12節「洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。」、コロサイ教会の信者が経験は単純な儀式だけではなく、誠の信仰を伴うことでした。
その信仰とはキリストの復活を確信する信仰でした。
洗礼を受ける信者はキリストと共に死ぬことを意味し、
それによって、古い自分を捨て、生まれ変わることを意味
しています。13節「肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、」 13-15節は誠に信じる信仰の上で洗礼を受けることに関する
説明です。洗礼を通してキリストの復活に参加することは、以前は死んだ状態であったということです。
キリスト者がキリストと共に復活に参加することは罪が赦されることです。