マタイ6:11
必要な糧を今日与えてください
9-10節は神様に関わる祈りでしたが、11-13節までは人間に関わることを願うのです。
キリスト者にとっては必要な糧は2種類があります。
①日常生活において必要とする最小的な物質であります。
その糧がなければ人間は生きて行くのは難しいです。
②神様の言葉です。旧約時代においてイスラエル民は
荒野で天からマナをいただきました。このマナは新約
時代に来られるイエスを表しました。
ですから信者は日用の糧を食べることで生きるわけですから、信者である私たちは菅様の言葉を毎日を読むことです。主の祈りの中で糧は確かに「人間が生きるために
取らなければならない糧であります。
ここの糧はギリシャ語の意味は「そのパン」と言う意味であります。その当時、ユダヤ人が食べてた「麦のパン」
であります。そして「この麦のパンは一つの意味」でも
あります。箴言30:8-9節「むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り/主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません。」
ですから私たちが求める糧は日用の範囲を超えないように
求めなければなりません。それ以上求めても神様はそれらを与えません。荒野でイスラエル民も日用の糧だけを
取るように言われても2-3日分のマナを取った人々は
それが腐ってしまい、全部食べられずに捨てたと聖書に
書かれています。この祈りは「わたしたちに」となっています。決してこれは個人の祈りではなく、共同体、家族
のことを指しています。そして隣人でもあるのです。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中