発想の転換
サムエル記下23:13-17
聖書は、クリスチャンの考えと心は、いつも発想を
転換する準備が必要であることを、切実に教え、またそれを求めています。聖書の登場人物が、発想を転換した代表的な指導者たちであるため、クリスチャンの模範であり、その生き方がそのまま私たちにも再現されなければならないことを教えている。
例えば、ダビデは、部下たちが持ってきたベツレヘムの井戸の水を見て、「これは血である」と叫び、血は神様にだけ捧げるものであるから、それをそのまま
神様に捧げます。
マタイ8章で、「ひと言おっしゃってください。
そうすれば、わたしの僕はいやされます。」と言った百人隊長から、また「小犬も主人の食卓から落ちる
パン屑はいただくのです。」と言ったカナンの女からも、発想の転換を見ることができます。
クリスチャンにとって発想の転換は、現実の壁を乗り越える強力な力です。
ダニエルの3人の友たちはこのように話します。
「神は燃え盛る炉からわたしたちを救うことができる。そうでなくても、私たちは金の像を拝むことを決していたしません。」
そのどれもが全部、発想の転換による告白であることを発見します。
私たちも聖書を通して、そのことを学び、健康な信仰者にならなければなりません。
もし、失敗に失敗を重ねた信者であるなら、どんな
告白ができるでしょうか。
私はこのように告白したいです。
「わが神は、失敗の経験を通して、神様にもっと
近づくことを望んでおられる。失敗を通して神様は、私を神様の懐に抱き、私に新しい知恵を与え、私を
慰めてくださる。今日も心配は、私に主だけに依り頼むように導いてくださる。」
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元