総会平和統一主日 イエスの中で真の自由
ガラテヤ5:13
2019年は大韓民国の建国100周年となり、光複節74周年
を迎えられます。
私たちがともあれ神様の恵みに中でいる時は真の自由を
味わうことが出来ます。そこには真の幸せも存在します。
イエスの中で真の自由があることを覚えて、主イエスと
共に歩んで行きましょう。
人間はなぜ自由ではないでしょうか。
①考えが自由。誰かに追いかける時、悔しいことがあるとき、誰かを憎しむ時、あるいは心配や怒りによって眠れない時などには自由が存在しません。
しかし、神様の御心があるところには自由が存在するのです。そこには良心の自由、理性の自由、考えの自由を
得られるのです。真実で正直な心には自由があります。
②選択と意思の自由、最初の人類の人であったアダムとエバは神様と共にエデンの園で生きる時には自由がありました。創世記1:28-29節「神は彼らを祝福して 言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。」
しかし、彼らが神様との約束を破り、エデンの園から
離れると真の自由、今までいただいていた神様から
の自由は存在しませんでした。
③行動の自由、物質的なこと、責任感、正しくない
道徳感などによって何かを行動する時に躊躇する
ことがあります。このように自由がないことは結局
人間には罪の問題により生じることです。
世の中で一番苦しいことは罪による束縛です。
そして、その罪の鎖から自由の身になるときが一番
喜びではないでしょうか?
コリント第二3:17節「ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。ヨハネ8:32節「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元