御心が行われますように、天におけるように地の上にも
マタイ6:10
10節の前に部分であります。「御国が来ますように」という表現を付け加えるような表現です。御国が来るように願う言葉です。しかし、前の部分である「御国が来ますように」は強いイメージがあります、後半の部分である「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」という言葉は柔らかいイメージがあります。
御心が行われますようにと願うことは強制ではなく、宣教的な意味です。即ち、全人類は喜びをもって御心を行うことを願っています。ここで「御心」とは神の国の法を意味しています。昔の王国の法は別の法があるのではなく、王の考えが法でした。さて、ここで「天」は神様の世界です。この地上的なものではなく霊の世界、即ち、神様の世界のことです。つまり神様の御心が行う世界であります。イエス・キリストが来られた理由は神様の御心を行うためでした。マタイ26:36「少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」、と祈られました。
ヨハネ6:38節「わたしが天から降って来たのは、
自分の意志を行うためではなく、わたしをお
遣わしになった方の御心を行うためである。」、とエフェソ6:6節「人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を
行い、」神様はこのように神様の御心を行うことを望んで
おられます。ここで注意すべきことは神様の御心と私たちの思いは違います。時には自分の思いのことを神様の御心であると言われる人もいます。神様の御心を行う際には
犠牲が伴うことを忘れないように気をつけましょう。
十字架も神様の御心でした。その御心を行い、従順に
行う人が神様の子です。
テモテ(第二)1:9節「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの
行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのですこの恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいて
わたしたちのために与えられ、」
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元