使徒11:23-26
キリスト者のほこり
26節「見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」
あの当時はキリスト者と呼ぶことは尊敬よりはあざけることやからかう意味が多くありました。
使徒26:28-29節「アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」
パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」28節でキリスト者となっているのはアグリッパ王がからかって言うことですが、しかし、パウロは
キリスト者のほこりを語っているのです。
私たちがキリスト者としてほこりをもつためには
まず、キリストに集中することです。聖書の主題は
イエス・キリストであります。ただ聖書のみです。
イエス・キリストは自分の人生の主人である、
我が家の主人はイエス・キリストです。
次はキリストから使命を受けることです。
キリストから学んだ生き方をすることです、
私たちが聖書を読むことは自分の考えを優先するのではなく、神様の御心に屈服するためであります。
従順に従うこと、服従することです。ヨハネ13:15節「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
世の方式ではなく、キリスト者として生きることです。キリスト者として生きることはマタイ4章に出てくる物質や権力や名誉から勝利することです。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中 朱京中 趙舜元
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙