詩編146:1-5
希望を持つ人
2019年度の最終の主日を迎えることとなりました。
いよいよ来週からは2020年が始まります。2019年は皆
様によってどんな年となりましたか?
キリスト教は希望の宗教であると言われています。
この希望があるから多くの試練や迫害があっても耐え
られます。詩編146-150編は「ハレルヤ」と言
う言葉から始め、「ハレルヤ」という言葉で終わりま
す。146編の詩人は「神様に希望を置く人」であること
は文書を通してよくわかリます。
3節「君侯に依り頼んではならない。人間には救う力
はない。」、その理由を4節に記しています。
4節「 霊が人間を去れば人間は自分の属する土に
帰りその日、彼の思いも滅びる。」
ここで「君侯」は権力者を指しています。つまり、お
金、権力などはより頼むことが出来ないと言うことで
あります。詩編121:1-2節「【都に上る歌。】
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはど
こから来るのか。 わたしの助けは来る天地を造られた
主のもとから。」
私たち人間を真に助けて下さる方はやはり創造の神、
全人類を罪から救ってくださる神様であると言う
ことであります。
5節「 いかに幸いなことかヤコブの神を助けと頼み
主なるその神を待ち望む人」、哲学者たちは人間は考
える存在、あるいは道具を制作する存在、希望を持つ
存在であると言われる。
哲学者であるデカルトは「我思う故、我あり」と言う
有名な言葉を残しました。動物では実現できないです
ね。動物には希望も信仰も存在しません。しかし、人
間には希望や信仰があります。なぜ、人間は神様に希
望を置くのですか。6節「天地を造り海とその中にあ
るすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを
守られる主は」天地を創造された神様に来年も希望を
置き、その神様により頼んで行く新年となりたいです
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元