アドベント(待降節)第二週
マタイ3:1-9
悔い改めにふさわしい信仰
待降節の意味は1 神の子が人間の姿を持って、この地に来ら
れ
たことを明らかにすることです。ヨハネ1:1-2節「 初め
に言があった。言は神と共にあった。言は神であっ
た。この言は、初めに神と共にあった。」、2私たち
が主イエス・キリストを心から切に待ち望むことで
す。3降臨する主を迎える信者の心も体を聖よめるこ
とです。4再び来られる主イエスを待ち望みつつ準備
することです。待降節は神が暗い世界を明らかにさせる
ためにナザレのイエスの姿でこの地に来られたという
事実を深く考えている季節です。
このような記憶を通し、私たちは、神がこの世の最後
の日に再び来られるという事実を希望します。それは
すぐにこの世界のすべての苦難とすべての闇を追い出
し、すべての涙を損なうこと、神の永遠の光の希望で
す。洗礼ヨハネの説教は、私たちが果たして神の到来
と彼の統治を胸ときめく楽しい気持ちで期待すること
があるのかと尋ねられます。この質問は、
この世界がどのように私たちを囲むか、私たちの生活
が、世界でどのような姿に見えているのかを問われて
います。このような状況下では、誰が、何が私たちを
助けることが出来るか?無意味と偽りの希望の危険か
ら私たちを救うことは何ですか?洗礼ヨハネの呼びか
けだけがこれを可能にします。神から離れたこの世界
が悔い改めなければならないという洗礼ヨハネの呼び
かけに神に戻って来るようにと言われています。
私たちは、洗礼ヨハネがその当時の教会の信者と言わ
れている真剣で敬虔なパリサイとサドカイ人にどのよ
うに言ったことを本文から学ぶことが出来ます。
今の時代も悔い改めなさいと言われている言葉を聞く
と同時に信仰が回復される待降節にしていきましょう。聖
誕節の祝福が豊か注がれますように、
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元