出エジプト(출) 3:1-12
神の臨在
2節「そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。」
「現れた。」ということは神様の臨在を意味です。
神様の臨在があれば、私たちの葛藤や悩みが癒されます。
モーセは自分のことをわきまえて、これ以上はこのような
生活を営むことはよくないと分かったんですか?
神様はモーセに近づくのです。
新約のパウロのような人でも主に用いられれば変わるのです。4節「主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、」
ここを見ますとモーセが神様を探し求めているのではなく、神様が
モーセに近づきました。ただ、モーセは神様に対して反応したのです。
彼はただ、「「はい」と答えると、」返事をいただけです。
新約にも神様がマリアに近づきました。ルカ1:38節
「マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。」趙自然的なことは神様のみ可能です。
私たちは神様の働きに反応すればそれで十分です。
荒波の前にも恐れでないでください。それを動かすのも神様であります。水に溺れているときはどうでしょうか?
自分の力で溺れないように頑張りなすが、人間にはその
限界がありなす。モーセは神様に反応して「はい」
と答えるだけです。私たちの信仰生活の中で一番大切なことは自分に神様が近づかれるように努力しますが、少し違います。私たちが神様に近づく信仰が必要とされるのです。11-12節モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。」モーセの動機は同胞を助けることでありましたが、神の臨在を知らなかったことがその後の人生に大きな変化をもたらしたのです。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元