詩編29:1-11
ご自分の栄光をあらわす
11節「どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。」
今ダビデはいかに状況が危険であるにも関わらず、主に
力を求め、平和を求めているのです。
そして、「主の御声」という言葉7回も記されているのです。周りの状況は危険であっても、自然から聞こえることがダビデにとって神の御声として聞こえたのです。
10節「主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。」
ダビデは自然に聞こえるものが神様に讃美し、礼拝を捧げる音に聞こえて、御座の前で栄光、栄光、栄光という
讃美に聞こえたのです。1-2節「神の子らよ、主に帰せよ栄光と力を主に帰せよ、御名の栄光を主に帰せよ。
聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。」、ここはなかなか
理解しにくい箇所です。この箇所は神殿の中で歌っている詩ではなく、洞窟の中で聞こえる雷や自然の音がダビデにとっては神様の御座の前で天使たちが叫んでいるように
聞こえて来た。9節「主の御声は雌鹿をもだえさせ月満ちぬうちに子を産ませる。神殿のものみなは唱える「栄光あれ」と。」、今ダビデはとっても厳しい状況でありますが、霊的には感動に満ち溢れ、現実的には洞窟で身を隠して
、外には豪雨と雷、川が氾濫している状況です。
しかし、そのような状況から聞こえて来る自然の音は
神殿で天使たちが大きい声で讃美しているように聞こえたので恐れないで、豪雨のなかでも外に出て、空を仰ぎ見て
讃美をささげました。洞窟の中でいかに悲しい、恐れ、
不安な心にどこから来たのでしょうか?力が溢れて、心に
平安が訪れて讃美が満ち溢れたのです。
11節「どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。」現実は洞窟の中で隠れていて、さらに豪雨や雷までなっている状況の中で
讃美が出ないと思います。しかし、そのようなダビデは神様の栄光を見て、恵み中で喜びと感謝が溢れている状態を
記されています。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中 朱京中 趙舜元
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙