詩編 35:1-9
絶望の中でも
8月に入りました。詩編35編はどんな事件の背景でこの詩編が書かれたのかについて神学者たちの議論がありますが、おそらくサムエル(下)17章の背景ではないかと言われています。ダビデが経験していることを考えますと
この詩編から様々な教訓が教えられます。
1節「主よ、わたしと争う者と争い/わたしと戦う者と戦ってください。」この文脈からダビデがいかに苦しんいるかがよくわかります。人生を生きる時には
このような場面に合うことが時とあります。
ヘブライ12:14節「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」
私を殺そうとする人と人とも平和に過ごせるようにと聖書は言われています。ですからダビデは1節で私の代わりに争ってくださいと祈っています。現在の私たちの代わりに争って下さるお方も神様です。それを信じて日常生活を営むのです。どんなに悪い人が攻撃してきても神様に祈る信仰者になりましょう。列王記(上)18:16節「18:16 オバドヤはアハブに会って知らせたので、アハブはエリヤに会いに来た。アハブはエリヤを見ると、「お前か、イスラエルを煩わす者よ」と言った。エリヤは言った。「わたしではなく、主の戒めを捨て、バアルに従っているあなたとあなたの父の家こそ、イスラエルを煩わしている。
アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めた。
エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。 エリヤは更に民に向かって言った。「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は四百五十人もいる。我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。
信仰ない祈りは何も起こりません。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中 朱京中 趙舜元
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙