第二週の待降節
悔い改めに相応しい信仰
マタイ書 3:1-9
待降節の第二週を迎えました。マタイ1ー2章では
幼いイエスについて語り、3:13以下は成人になったイエスについて語ります。しかし、3:1-2節では洗礼ヨハネについて語っています。
イエス様より先に福音を伝えたのは洗礼ヨハネで
あります。1ー2節「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は 近づいた」と言った。」神の国が近づいたと言うことは
メシヤが直ぐに来られる、そのメシヤを迎えるためには
まず、悔い改めることであります。
3節「これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」
ここで主の道は全人類を救うための道であります。
しかし、主が来られるから待降していけば、良いことでは
ありません。人間側からも積極的に行うことが必要で
あります。ヨハネ黙示録3:20節「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
戸を開くのはわたしたちであります。
主の道、つまり主を会うために、主と共に歩む道、
そして、悔い改めは「その道筋をまっすぐにすること」
であります。私たちは毎年、待降節や四旬節の説教内容は
必ず、悔い改めと言うことであります。
自分の罪を告白するのは簡単ではありません。
心に負担となり緊張感もありましょう。
多くの信者は過ちや間違いを直ぐに悔い改めをしないで
見送ってしまい、忘れるのが多いです。
本当の悔い改めの祈りすることを主は望んでおられます。
待降節は悔い改めの季節でもあります。
神の国を信じる信仰者であれば、日々悔い改めの祈りを
捧げるようになります。アドベント期間だけではなく
日々悔い改める信仰者になりましょう。