収穫感謝節
ルカ17:11-19
感謝と信仰
2020年度の収穫感謝節を迎えました。今年はコロナ過の中にあって、私たちが立てた一年の計画は実行せずに
過ごして来ました。そのような状況の中でも神様に感謝することを見つけて感謝しましょう。
11ー13節「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。」今まで、人々から無視され、差別された、重い皮膚病を患っている
十人はイエス様に癒しを求めて来ました。
重い皮膚病に患うと家族から隔離されて生活しなければなりません。これと同じように、私たちも神様に背を向け、救われることは到底不可能であったのに、何ということでしょう。そんな私たちを救ってくださったのです。
神様から隔離された私たちを神様に心を向けるように
いくようにしてくださいました。本文に登場する十人の中で、九人は各自の家に戻りました。しかし、一人は重い皮膚病が癒されたことを確認して自分の家に戻らず、
イエス様の前に来ました。
この人はユダヤ人ではなくサマリヤ人でした。神を知らないひとでした。けれどもイエス様に感謝する信仰を
持っている人でした。感謝と信仰は切り離すことが
出来ません。信仰があれば、感謝が出来、感謝する
ことが出来る人は信仰があるということです。
次は、この人は神様に栄光を帰する信仰を持っています。
神様が人間を創造された理由は神様の栄光を表すためでもありましょう。
神に栄光をあらわす手段はまず、謙遜でなければなりません。彼はイエスの足ともにひれ伏して感謝したと16節に記されています。この人は神様を第一に考える人でした。
他の九人は自分の事しか分かりませんでした。しかし、このサマリヤ人は自分のことよりイエス様のことを
考えたに違いありません。私たちもいつもイエス様を思い感謝しましょう