詩編 1:1-6
聖書的な祝福
詩編の記者たちは神様は生きておられ、会話をされるお方、そして主と出会うことが出来ることを書いています。詩編を通して神様と交わりを経験した人々の証しも書かれています。特に詩編1編は幸いな人、つまり祝福された人について書かれています。
聖書が言われている祝福された人は神様と親しい交わりを持ち、神様に祈り、神様と会話する人、神様に自分の心を告白し、感謝する人を幸いな人、祝福された人であると言われています。信仰者の中では私は祝福されていないと、。と言われる人々がいますが、祝福されていますが、感じないのです。イエス・キリストを信じることは祝福されたことであります。3節「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」、ここで「流れのほとりに植えられた木」という表現は祝福されたという意味です。つまり、砂漠や荒れ地に植えられた木は実を結ぶことが出来ないし、木も枯れてしまいます。
聖書はそのような人には祝福がないと言われます。
聖書が言われている真の祝福の判断基準が1-2節に
記されています。1-2節「いかに幸いなことか神に逆らう者の計らいに従って歩まず罪ある者の道にとどまらず傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人。」ここで私たちが誤解してはならないことは1節に書かれていることを守るから祝福されるのではなく、祝福された人であるから「神に逆らう者の計らいに従って歩まず罪ある者の道にとどまらず傲慢な者と共に座らず、」このようになるのです。自分が損しても、難しいことがあっても悪い人から離れることが出来ます。祝福されてない人は1-2節のように生きることが出来ないのです。
真に祝福された人は「主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人」であると聖書はハッキリと言われます。6節「神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。」神に従う人になるのか?
神に逆らう人になるのか? 私たちも決断する時が迫って
来ました。主の再臨の日が近づいているからです。
聖書的な祝福を経験する信仰者になりましょう。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中 朱京中 趙舜元
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙