追悼礼拝 生ける望み
ペテロ第一1:3-5
新約聖書に収められているパウロ手紙の13の手紙を見ますと、書き出しの挨拶の言葉が終ったあとに、手紙の宛名人に対して、神様に感謝するか、あるいは神様の御名を讃美するか、いずれにせよ、一定の形式があることをすでにご存知であります。例えば、ロ-マの信徒への手紙1章を見ますと、1-7節の冒頭の挨拶が終わると、8節に手紙の宛名人で、あるローマの教会のことで、神様に感謝をささげておりますし、また、エペソの信徒への手紙を見てみると、1章1-2節の短い冒頭の挨拶が終わると、すぐに神様がエペソの教会の兄弟姉妹たちに、お与えになっている言いつくし難い、満ち溢れた、神様の恵みの故に、神の御名をほめたたえ讃美しております。そのように、ペトロもこの第一の手紙で冒頭の挨拶の言葉が済むとすぐに、この手紙の宛名人である諸教会に対する神様の大いなる豊かな「あわれみ」「恵み」の故に「わたしたちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように」と神様の御名をほめたたえ讃美しております。この手紙の著者であるペテロは、天の御国に帰る日を待ち望みながら、1-2節に記されている、ポントス、ガラテヤ、カパドキヤ、アジア、ビティニヤにある離散者、寄留者のように信仰生活をしている神の選びの民である信徒たちに神様が、どのような憐れみや恵みを注ぎ、どのような恵みに、彼らを包んで下さるかを3-5節で語っております。そして、私たちは、これを読みますと、これは決して2千年前の小アジアの地方にあったキリスト者たちだけのことではなく、今日のこの私たちにも、彼らと同じように「イエス・キリストの父なる神」すなわち、御子イエス・キリストにあって、私たちを救って下さった神様の「憐れみ」や「恵み」が注がれ、私たちを今、包んでいることをさとらなければならないのです。その時、私たちは、この荒れる世にあって、真の平安と喜びと望みを与えられ、そして私たちの神様の御名をほめたたえることが出来るのです。ペテロは、神様がキリスト・イエスにあって、私たちに注ぎ、私たちを包んで下さる「恵み」について、ヨハネ3章3節で、イエスはニコテモに「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることが出来ないからです。」と教えになりました。
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中 朱京中 趙舜元
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙