四旬節第五週
十字架と救い
ヨハネ3:16
四旬節第五週目を迎えられました。キリスト教の一番大切な中心的な教理であります。主イエスは全人類の罪の贖いと救いのために十字架を背負われました。
神様は私たちを救うためにご自分の命を十字架に付けました。ご自分の命を与え、代わりに私たちを救ってくださいました。神様は私たちを救うために代価を払いました。本当に救われたものであるならば、まず、この世のものに欲望がなくなります。私たちがこの世のものから心が離れることが出来ることは本当に素晴らしいことであります。ヤコブ1:15節「そして、
欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」罪の原因は欲望であると聖書は言われています。
欲望は人をひくつさせる、欲望は人を高慢な人に
させる、欲望は人を嫉妬させるのであります。
欲望がない人は強くても高慢になりません。
救いの確信がある人は絶望と不安がありません。
絶望と不安は人間に死に至らせる怖いものであります。お金がたくさんあればあるほど不安が多くなります。しかし、信仰は希望と平安を与えられます。
ですから救いの確信がある人は絶望がありません。
救いの確信があれば、どんな問題があっても余裕が
あります。焦ることはありません。信じる人と信じない人、救われた人と信じない人の違いは大きいのであります。救いの確信は勇気を与えられます。
真の勇気は信仰から生じるものであります。
運動する時に一番重要なことはバランス、つまり安定であります。勇気は私たちに平安と安定を与えます。練習の時は上手くいくのが、じっさい競技が始まると上手くいかない場合もあります。
それは、不敗に対する不安感により安定にならないのです。死を乗り越える勇気は信仰から来るのであり
ます。神様を信じれば、神様が用意する天国を信じる
から死を恐れません。ですから救いの確信は信仰者にとっては大変重要であります。