四旬節第二週
苦難を受けるメシヤ
イザヤ書53:4-6
四旬節第二週目を迎えられました。聖書学者たちはイザヤ書40ー66章までを旧約の中の新約と言われています。
その理由はイエス・キリストが救いの主として来られると
人間を救われることの予言が書かれていたからです。
特にイザヤ書53章がその中の一つであります。
ここではメシヤであるイエスがこの地上に来られて受ける
苦難や十字架の勝利を予言しているのであります。
4ー5節「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのにわたしたちは思っていた神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
イエス・キリストは罪のないお方です。しかし、人類の罪のために十字架で死なれたのであります。6節「わたしたちは羊の群れ道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。」、旧約時代は人間が罪を犯しますと贖罪のために小羊をほふり、いけにえとして捧げました。
ヨハネ1:29節「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。小羊の代わりにイエスは十字架で死なれた。
その結果、人間は罪がゆるされて、救われました。
7-8節「苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開か なかった。屠り場に引かれる小羊のように毛を切る者の前に物を言わない羊のように彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうかわたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり命ある者の地から断たれたことを。」ここを見ますとイエス・キリストは人間として最悪の
侮辱を受けていることが分かります。自尊心も全部崩れていたのであります。それは私たちを救うためであります。
私たちの主の苦しみを信じるものであれば、四旬節だけではなく、地上の生涯を終えるまで、主の苦しみを覚えて行く信仰が必要であります。