神の愛
詩編6:1-8
2,3,7節「主よ、憐れんでくださいわたしは嘆き悲しんでいます。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ、わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう。、苦悩にわたしの目は衰えて行きわたしを苦しめる者のゆえに老いてしまいました。」
3つの聖句から今ダビデはどんな状況であるかを知ることが出来ると思います。心も体も深刻な状況であるのは
間違いではないでしょうか?ダビデは神に叫んでいる
状況です。神様が自分を見捨てるじゃないのか?
詩編の中には7つの詩編がありますが、その一つが詩編6編
であります。1節「主よ、怒ってわたしを責めないでください/憤って懲らしめないでください。」
ダビデは神様の怒りを感じています。神様が自分に怒って
くださるぐらい絶望的な瞬間はないでしょう。
神様がどうやってイエスを捨てるのか?
マタイ26:39節「少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」イエス・キリストは全人類は私たちの全ての罪を背負うのに神様はイエスを見捨てるように感じます。実な神様はまだ神を信じない、神の子となっていないひとでも神様は見捨てることはない状況であります。それを一般恩寵であると言われています。
ルカ15:21節「息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
神様は私たちを愛して下さい。その証拠は十字架と私たちのおられる聖霊なる神様であります。
4節「主よ、立ち帰りわたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしくわたしを救ってください。」6節「苦悩にわたしの目は衰えて行きわたしを苦しめる者のゆえに老いてしまいました。」
10節「敵は皆、恥に落とされて恐れおののき/たちまち退いて、恥に落とされる。