渇望の祈り
詩編5:1-12
二回目の国の緊急事態宣言が出されているなかで、全国の営業も集会も自粛するように国から言われるようになりました。全国の教会もこれに応じて、昨年からオンラインでの礼拝を行う教会も増えていることであります。しかし、
いまだに、オンライン礼拝や人数制限を持ちながら礼拝を
守っている状況であります。しかし、今回はそれを避けるために一部日本語、二部韓国語礼拝を行うように決定しました。詩編5編はダビデが正しく生きるように祈るところです。1節「主よ、わたしの言葉に耳を傾けつぶやきを聞き分けてください。」、ダビデはどのような問題があったのですか?8節「主よ、恵みの御業のうちにわたしを 導きまっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。」、一般的には1節のように
祈りはしません。ダビデにとっては正しく生きることは
自分の命にまさるものはありません。
12節「主よ、あなたは従う人を祝福し御旨のままに、盾となってお守りくださいます。」、神様は誰でも愛し、祝福を与えようとしています。しかし、そこには条件があります。祝福を受ける道を歩まないと与えることが出来ません。主に従う人に与えて下さることを約束しています。
ローマ6:6節「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。」
今ダビデは自分は正しく生きたいですが、周りはそうではないことを4-6節語っています。「あなたは、決して/逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず、誇り高い者は御目に向かって立つことができず悪を行う者はすべて憎まれます。主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。」そして、9節「彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで喉は開いた墓、腹は滅びの淵。」
このような状況の中ではどのようにして生きることでしょうか?そのような状況で正しく生きることがどれほど難しいなのか?経験していない人はダビデが祈る気持ちが理解
出来ないかも知れません。