主に口づける恵み
詩編 2:1-11
今年ももはや第二週を迎えました。今年は詩編を中心として御言葉を伝えたいと思っています。
本文の1-3節を見ますと「なにゆえ、国々は騒ぎ立ち人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか「我らは、枷をはずし縄を切って投げ捨てよう」と。創造主であられる神様に対して敵対する人、神様をあざける人たち、つまり世の権力者たちを表す御言葉です。
そのような人々がどれほど多くいるのか?
1節「国々は騒ぎ立ち人々」という表現をしています。
そして、どういう人なのかについて2節「地上の王は構え、支配者」であると表現しています。
しかし、そのような人々と比べて信仰者である私たちは
いかに弱い存在であるのか?政治、経済、文化などの分野で活躍しているのは、神様を信じない人が多いのであります。信仰者たちは教会の中で大きな声を出しますが、
この世に出てからはどうでしょうか?
しかし、そのような世の人々のことをご覧になった神様は
4節で「天を王座とする方は笑い/主は彼らを嘲り」
もし、世の人々、つまり、神様に逆らう権力者たちが
4節の神様を見る事が出来るならば、どうなりますか?
私たちの信仰が世の世界では通じない場合があります。
権力者や影響力者たちが神様より怖くなる場合があります。教会は休んでも会社には休まない理由は権力者を恐れて
いるからであります。しかし、私たちが霊的な目が開かれると目に見える権力より明には見えませんが、全知全能の
神様を恐れるようになります。
霊的な目が開かれると神の国が見えます。神の国は世の
どんなものより偉大であり、大きいものであります。
信仰者は神の国を見ること、神様に出会うことがどれほど
大きな祝福であるかを体験すれば、分かります。心配は
ありません。ヘブライ12:1節「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、」