新年礼拝
目標を持った信仰者
フィりピ 3:12-14
2021年度が始まり、もはや第一主日を迎えました。
新しい計画と希望を持ち、新年を迎えたと思います。
皆様は今年の目標はどのようなことを定めましたか?
神様は私たちに一年という時間をくださいました。
それが1年ではなく、5年とか、10年になるのであれば、
どうなるでしょうか? 生きる目標があるのか?
生きる目標が定まった時に自分の存在意味や価値を感じる
のです。なぜ、私たちが怠いとかつまらないとか言えることは目標がないからであります。
12ー14節「わたしは、既にそれを得たというわけでは なく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって 上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」パウロのように正しい目標、
力を与える目標、それが私たちに価値観や勇気を提供するものとなります。目標がはっきりすると遠回りする必要が
ありあせん。多くの人は人生を遠回りすることがあります。今年から私たちの中におられる聖霊なる神様と交わる
時間を持ちましょう。世の中で一番近い方が家族でも友達でもありません。聖霊なる神様です。朝、目を覚ますと心中におられる聖霊と会話をまず始めようと決心し、その
目標を定めましょう。自分を捨てると主に近づけます。
自己中心的なことや自己満足だけでは主に近づくことが
出来ません。過去にしたことは忘れて、新年を迎えて新たに献身する目標を定めて行きましょう。私たちは過去に執着して行くような習慣があります。信仰的には相応しく
ありません。パウロは14節で「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、 目標を目指してひたすら走ることです。」と勧めているように新年も信仰の走りを始めましょう。