神様の知恵
コリント(第一)1:18-25
18節「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」
教会は心が一つ、思いも一つにならないことは十字架の
福音の力を経験していないからであります。
ですから十字架の福音というは、自分が罪人であることを
悟ることであります。地獄に行く者が天国に者になること
であります。このような経験を通して謙遜になります。
このように生き方が変わる事は十字架の福音であります。
ヨハネ3:16節「神は、その独り子をお与えに なったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
イエス・キリストは私たちと共にし、私たちの中でおられるお方でおられます。ですからパウロは十字架の福音は救われた者には神様の力であります。
さて、十字架の福音は初代教会から今に至るまで世の人々
から侮辱され、無視されました。世の常識では十字架の
福音は信じることが出来ない、理解が出来ません。
ガラテヤ2:20節「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」、イエス様が私たちのために代わりに
死んでくださいました。それを信じて、全ては赦されました。今は救われました。神の子となりました。
19節「それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」十字架の福音は世の知恵を滅ぼします。
ここで世の知恵は何も意味していますか?
自分を誇り、自分は強いと思うこと、自分が他人よりたくさん所有している思うことであります。
世の知恵は強者の論理である。強者は言葉も多い、強者は正しい、強者の行いは善である。しかし、このようなものでは神様の存在、神様の愛、神様の憐みなど理解が出来ません。神様の知恵に従いましょう。