主は安全な場所に導く
詩編4:1-8
詩編4編はダビデが書いた詩編です。ダビデは難しい状況
中で置かれています。切なる祈りを叫んでいます。
1節「呼び求めるわたしに答えてください。わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください憐れんで、祈りを聞いてください。」わたしの正しさを認めてくださる神よと呼んでいます。
そして、4節「主の慈しみに生きる人を主は見分けて/呼び求める声を聞いてくださると知れ。」もし、私たちの
周りにそのような人がいるならば、どう思いますか?
7節「恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。」
この世には完璧な人もいなし、正しい人もいないと思ます。3節「人の子らよいつまでわたしの名誉を辱めにさらすのかむなしさを愛し、偽りを求めるのか。」
ダビデの周りにも悪い人、嘘をいう人も多くあったと
語っています。そういう人に囲まれています。
ヘブライ書12:14節「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」
ヨハネ第一5:18節「わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。」、ローマ6:6節「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。」福音は一言で、私たちの罪の体がなくなることであります。カラテヤ2:20節「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」
救われた人には神様が安全な場所に導くのであります。
神様は私たちに悔い改めを求めているのであります。
主が守って下さることを確信して行きましょう。