悔い改めと信仰
詩編3:1-8
詩編3編はダビデは極めて辛い状況の中で神に切なる
祈りを捧げています。1ー2節「ダビデがその子アブサロムを逃れたとき、主よ、わたしを苦しめる者はどこまで増えるのでしょうか。多くの者がわたしに立ち向かい」、今まで自分の部下たちが今は敵となっています。ダビデに従った部下でしたが、そのような人々が今は敵となってダビデを攻撃しようとします。ダビデは自分に攻撃する人々の出来ことを通して神様が行っていることが分かりました。神様がなさることではなければ、このようなことが起こるはずがないと確信しました。ダビデはすぐに悔い改める祈りを捧げました。サムエル(下)12:9ー12節「なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』主はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。あなたは隠れて行ったが、わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う。』」
予言者ナタンを通して語った神様の予言がダビデの前に現実的に現れたのであります。2節「多くの者がわたしに言います/「彼に神の救いなどあるものか」と。」
ダビデは人々の話しを聞いてどんなに辛かったんでしょうか?私たちも人生の中でこんなに悔しい話し、侮辱な
話しを聞く場合もあります。しかし、神様は正しいお方ですから、全てのことを知っておられます。根拠のない話、偽りの話しをする側が問題でありますから、反対に私たちはそのような人のために祈るのであります。しかし、そのようなダビデは3節で素晴らしい告白をします。
「主よ、それでも/あなたはわたしの盾、わたしの栄えわたしの頭を高くあげてくださる方。」