祈る人に与えられる祝福
詩編77:1-9
詩編77編は詩編記者が非常に落胆して、それを日記のように記している聖書です。
なぜ、落胆しているのかについては細かく説明がありませんので、知る事が出来ません。
1節「神に向かってわたしは声をあげ助けを求めて叫びます。神に向かってわたしは声をあげ神はわたしに耳を傾けてくださいます。」
この聖句を見る限り、静かに祈っていたのではなく
むしろ声をあげ助けを求めて叫びますと書かれています。私たちは問題がない時には静かに祈りますが、
緊急事態、危ない時には、近所に迷惑していることも
関係なく、声をあげ助けを求めて叫びますね。
そのような経験が皆様はありませんでしたか?
2節「苦難の襲うとき、わたしは主を求めます。夜、わたしの手は疲れも知らず差し出されわたしの魂は慰めを受け入れません。」より深刻な状況であることがこの文脈を見るとよく分かります。
この人は苦難の襲う時と言われていますから、
とっても厳しい状況であることは間違いではありません。だから詩編記者は夜も、声をあげ助けを求めて叫び祈り、そして手の疲れも分からずに祈り求めました。4節「あなたはわたしのまぶたをつかんでおられます。心は騒ぎますが、わたしは語りません。」
夜になっても寝る事が出来ないほど深刻な状況で
あったということであります。
どんな問題があったでしょうか?私たちも夜に眠ることが出来ないような試練や苦しみを経験したと思います。しかし、この記者は7節で正反対な告白しています。7節「「主はとこしえに突き放し再び喜び迎えてはくださらないのか。」一般的に考えられない告白であります。自分も知らずに告白しています。
しかし、私たちは落胆した時には感謝が出ないと思います。疲れる時には否定的な言葉が多く出ますが、
ですから本当に祈る人にはこのような祝福が与えられます。この祝福を手にしましょう。