ダビデが求めた祈り
詩編27:1-6
ダビデは大変困難な時に主に求めて祈った祈りであります。10節「父母はわたしを見捨てようとも主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。」
サウロ王がダビデを殺そうとしたので、これ以上ダビデの
親はダビデを守ることが出来ない状況であることをダビデは父母は自分を見捨てたという表現をしているのであります。その結果、ダビデは父母から離れるようになりました。ダビデは一人で洞窟に逃げ、身を隠さなければならない
状況でありました。しかし、ダビデは父母は離れても神様は自分を見捨てないで守ってくださることであります。
2,3,12節を見て下さい。
2節「さいなむ者が迫りわたしの肉を食い尽くそうとするがわたしを苦しめるその敵こそ、かえってよろめき倒れるであろう。」、3節「彼らがわたしに対して陣を敷いてもわたしの心は恐れない。わたしに 向かって戦いを挑んで来てもわたしには確信がある。」、12節「貪欲な敵にわたしを渡さないでください。偽りの証人、不法を言い広める者が/わたしに逆らって立ちました。」この3箇所にはダビデの事情をよく説明しています。そのような厳しい状況であってもダビデの信仰は
どうでしょうか?
1節、6節「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。」、「主よ、呼び求めるわたし声をの 聞き、憐れんで、わたしに答えてください。」
詩編27編は実際ダビデの信仰の宣言とダビデの信仰の祈りでもあります。1ー3節にダビデの大胆な信仰の宣布、4節
にダビデの祈り、5-6節は再びダビデの信仰の宣布、
7-12節では再びダビデの祈り、13-14節に最後の
ダビデの信仰の宣布が書かれています。
ですからダビデの信仰の宣布と祈りが繰り返されているのが特徴であります、祈っても理解出来ないこともあります。ダビデもそのような時がありました。理解出来ないことを理解して信じるのが信仰であります。