第二週待降節
その名はインマヌエル
イザヤ書 7:14
昨年と今年はコロナ禍のために個人的にも教会においても
生活や多くのことが改善されました。
昨年の待降節と今年の待降節の雰囲気が違う気がします。
イザヤ11:1節「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ち」
ここでエッサイの株と意味はエッサイはダビデ王のお父さんで、そしてエッサイの株はダビデ王家の正統性を意味します。自然の秩序も芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ちます。いきなり若枝は出ません。
信仰も最初から固い信仰者はいません。荒野でサタンは
イエス様に向かって石でパンになるように言われました。
パンの材料は小麦粉です。石ではありません。
自然の秩序を逆らうことはイエス様も奇跡を行いません。
自然の秩序を無視して、石でパンになることは簡単でしょう。イザヤ8:10節「戦略を練るがよい、だが、挫折する。決定するがよい、だが、実現することはない。神が我らと共におられる(インマヌエル)のだから。」、今日の私たちも神様に求める時荒野でサタンの誘惑と同じように株からの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ちということを忘れていけません。
本日の本文は「おとめが身ごもって、男の子を産み」と言う予言でした。そしてその名はインマヌエルと言う名前でした。その意味は神は我々とともにおられることであります。聖書で言われて一番の祝福は神は我々とともにおられるという祝福であります。イザヤ書8:8節「ユダにみなぎり、首に達し、溢れ、押し流す。その広げた翼はインマヌエルよ、あなたの国土を覆い尽くす。」
インマヌエルの御子はなぜ、来られるでしょうか?
自分の民を救うために、ともにおられるためであると言われています。十字架を背負うためであります。
苦難を受けられるために来られました。
それが神様の御計画であります。神様に従うためであります。待降節は御子が来られたことを黙想する時間です。