むしろ、損したほうが
コリント(第一) 6:1-4
1節「あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを 起こしたとき、聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです。」
今、パウロはコリント教会の信徒たちに失望して内容を
語っているのであります。なぜ、コリント教会の信徒たちはお互いに争っているのですか? それは言うまでもなく
キリストを信じても生まれ変わってないからであります。
その結果、恥ずかしいことが教会の中で起こっていたのであります。このような問題はコリント教会だけではなく、
現代の教会の中にも起こるうることでありましょう。
主イエスを信じて救われたから全てが生まれ変わっていないことが明らかされていることであります。
教会に来ますが、信者の中には罪の属性が残っていたことでありまましょう。パウロはなぜ、信者である人が正しくない人々はキリスト者ではない人に訴えているのか?
と言うことであります。
4節「それなのに、あなたがたは、日常の生活にかかわる争いが起きると、教会では疎んじられている人たちを裁判官の席に着かせるのですか。」
なぜ、キリスト者たちが世の裁判官に、訴えているのか
このことにパウロは腹が立ていたのであります。
2節「あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。」、キリスト者が世の人たちを裁かるべきであると、
むしろ、3節ではパウロは天使たちが裁きますと「わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか。まして、日常の生活にかかわる事は言うまでもありません。」、この聖句を読みますと誤解しやすい部分であります。これはキリスト者が主を信じて起こった生まれ変わったことを意味します。そういう意味でコリント教会の信者は恥ずべきことであると語っているのです。
5-6節「あなたがたを恥じ入らせるために、わたしは言っています。あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか。
兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で。」