生涯、喜び歌い、喜び祝わせて下さい。
詩編 90:14-17
この詩篇は祈り、神の人モーセの詩となっています。
`詩篇は150編がありますが、ダビデの詩篇は73、コラ子孫詩篇が11、アサフ詩篇12,へマンの詩篇1,エドトンの詩篇1,ソロモンの詩篇2,そして本日の本文は
モーセが書いた詩篇であります。詩篇にはところところにセラと言う言葉がよく見つけます。詩篇の中39詩篇に71回出て来る単語であります。この言葉の意味はいったん止まて聞きなさい、前の言葉を黙想しなさい。という意味です。他の意味は「永遠に」、または「音楽用語」であると言われます。しかし、明らかにされるようなことは分かりません。特に注目する言葉は10節「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」さて、詩篇90編の内容は特別な形式をもって書かれた詩ではないのであります。人生はむなしいが、誠の喜びは神様にあります。
ですから14節「朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ 生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。」
モーセの告白でもあります。15節「あなたがわたしたちを苦しめられた日々と/苦難に遭わされた年月を思って/わたしたちに喜びを返してください。」
モーセは過ぎ去った時間が辛かったことの正直な告白でも
ありましょう。400年以上にエジプトの奴隷生活した
イスラエル民をモーセは神様の命令に従ったのであります。しかし、荒野の生活はどれほに厳しかたのですか?
モーセも人間ですから、早くカナンの地に入り、ゆっくりと落ち着いた生活を望んでいたかも知れません。
ですから14節で「生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。」と語っているのであります。
喜びの根源は神様から来るのであります。
喜びの出発点は人間側にあります。
つまり、私たちが喜ばなければ祈りも出来ません。
奉仕も礼拝も出来ません。まず、自分の喜びを回復することでありましょう。10月から依然と同じく礼拝を捧げるようになりました。主に栄光を帰しましょう。
最後に17節「わたしたちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを/わたしたちのために確かなものとしわたしたちの手の働きをどうか確かなものにしてください。」