敬老主日
親のように勧める
コリント(第一)4:14-21
14-15節「こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。」パウロは今コリント教会の信徒たちに勧めていることはまるでお父さんが子どもに勧めているように
語っています。そもそもコリント教会の信徒はパウロにとっては霊的な子どもであります。お父さんはどんな状況にも、どんな時でも、子供を愛しています。
民数記11:12節「わたしがこの民すべてをはらみ、わたしが彼らを生んだのでしょうか。あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。」
モーセはイスラエル民が不満や不平を言っても、諦めることが出来ないし、カナンの地まで導く義務があります。
ですからモーセは彼らを諦めることが出来ないのであります。そして、イスラエル民が偶像を造る罪を犯しても彼らのために祈りました。出32:32節「今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」
今パウロはコリント教会の信徒にもモーセと同じ気持ちで
祈り、勧めています。ローマ9:3節「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。」パウロだけではなくイエス・キリストも同じで
あります。ルカ23:42-43節「そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。」、イエス・キリストは失われた息子が戻って来た心であります。十字架の恵み、神様の愛を持っている
人は相手を赦すことが出来ます。