総会人権主日
主を証しする信仰
詩編14:1-7
1節「神を知らぬ者は心に言う「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。」多くの人は神はないと言われています。
特に学歴が高い人は神に対する否定があります。
しかし、そのように言われながら緊急な場合は神を求める場合があります。日本のことわざには「せつない時に神たのみ」と言う言葉があります。
5節「そのゆえにこそ、大いに恐れるがよい。神は従う人々の群れにいます。」つまり、神はいないと言われる人たちの特徴は心に恐れを持っているのであります。子どもの時に過ちや悪いことをした場合は親に叱れると言う恐れを持っています。
創世記3:9ー10節「主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」、最初の人間であったアダムとエバは神様との約束を破って、最初に感じたのが恐れでありました。
そもそも無神論たちは神様が存在しないのが落ち着くのであります。神様から干渉を受けたくないのであります。
神様の裁きも信じない、自分勝手な生き方を望みます。
神様は人間を神の形で創造されたと聖書は言われます。
2-3節「主は天から人の子らを見渡し、探される目覚めた人、神を求める人はいないか、と。だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」聖書は神様を拒むこと悪を行うことと同じであると言われます。神様は5節に書いてありましたが、
「神は従う人々の群れにいます。」と書いてあります。
人間が罪を犯さないで生きることは自分力ではむりであります。悪魔の奴隷にならず、神に属することは聖霊の導きと助けによるものであります。ですから正しく生きる人、神に従う人を見ると神が共にいることを分かります。
主イエス・キリストも私たちと共におられます。
エフェソ2:1節「さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。」
神を知る認識が必要であります。