哀れみの神様
詩編52:2-10
1-7節を見れば、疑わしい悪い人が登場します。
「 エドム人ドエグがサウルのもとに来て、「ダビデが
アヒメレクの家に来た」と告げたとき。】力ある者よ、
なぜ悪事を誇るのか。神の慈しみの絶えることはないが お前の考えることは破滅をもたらす。舌は刃物のように鋭く、人を欺く。お前は善よりも悪を/正しい言葉よりもうそを好み(セラ)、人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む。神はお前を打ち倒し、永久に滅ぼされる。お前を天幕から引き抜き/命ある者の地から根こそぎにされる。〔セラ これを見て、神に従う人は神を畏れる。彼らはこの男を笑って言う。」、ここに「ドエグ」と言う人はサムエル(上)21章1節以下から22章の内容をここに記録して
います。特に7節にダビデは神様を畏れたのであります。
人間ドエグを怖かったのではなく、神様を畏れたのであります。同じおそれであっても漢字は違います。
6節「人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む。」
ダビデは神様の裁きを信じ、必ず成就して下さることに対して確信を持っています。悪い「ドエグ」と言う人を
恐れる必要はありません。彼は神様の審判を受けるので
むしろ憐れまれます。今日もドエグのような人が生きています。このように悪い人が私たちより金持で、幸せに暮らしている人がいます。私たちクリスチャンは彼らを見ると
うらやましくなるのではないでしょうか?
なおかつ、権力のある人に出会うと何の役にも立たない場合もあります。しかし、ダビデは私たちと何か違いますか?9節「「見よ、この男は神を力と頼まず、自分の 莫大な富に依り頼み/自分を滅ぼすものを力と頼んでいた。」実はダビデは私たちより艱難の中で置かれています。
しかし、そのような状況の中でもこのような信仰告白を
することが出来たのは、神様を見たのであります。
神様を見る霊的な目が開かれたと言うことであります。
哀れみの神様の導きに従順に従いましょう。