天にましますわれらの父よ(2)
マタイ(마태) 6:9
前回に続きまして9節でイエス・キリストが教えられた
主の祈りを続けて学びましょう。
いつも祈っている祈りをも一度整理する時ではないでしょうか?主の祈りはとっても恵まれる祈りであります。私たちキリスト者になって祈りになれました。ある意味では成熟していることでしょうし、信仰が深まってきたとも言えるでしょう。 わたしたちも今、祈る時に「天にまします
われらの父よ」神様を呼ぶのです。祈りはすべての問題の解決する鍵のようなものです。しかし、その当時のユダヤ人たちは
イエス様が神様のことを「父よ」と呼ぶことは神様の御名をみだりに唱えていると言われたのです。
ヨハネ5:18節「このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。イエス・キリストが十字架につけられた理由中の一つが神様の御名を「父よ」と呼んだことです。神様の願いは人間が神様のことを「父よ」と呼ばれることです。そのような働きのために神ご自身は聖霊を送ったのです。ガラテヤ4:6節「あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
神様はわたしたちが神様がわたしたちの父となっておられることを信じ、だれよりも願っておられます。
教会学校の子どもたちに牧師を「父よ」と呼んでくださいと言ったらその子供たちが「父よ」呼ぶ子供はだれもいないと思います。神様を「父よ」と呼ぶことが出来る幸いを感謝する
信仰者になって行こうではありませんか?
堂 会 長 梁栄友 牧師
名誉 長老 林秉魯 朱瞮中
長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元