復活節
復活の主に出会った二人
ルカ書 24:13-17
2022年度復活節を迎えれました。
キリスト教会で一番重要な教理の一つである復活節。
死を待っている人はいないと思います。しかし、人間は必ず死ぬことには知らない人はいないと思います。
主イエスは死に勝利したお方であります。
本日の本文は復活された主に出会った二人の話であります。13節「ちょうどこの日、二人の弟子が 、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、」おそらく、この二人は自分たちが目撃した十字架の出来事を話ながら、失望の中で歩いて
いるに違いありません。これからどうするのか?
それが14節の表現であります。14節「この一切の出来事について話し合っていた。」
あまりにも二人は真剣に話をしたのか、主がそばにおられることも気づいてなく歩きました。
15-16節「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」、この二人の姿が私たちの姿ではないでしょうか? 主が側におられても知らないのが私たちではない でしょうか?主イエスについてどれほどたくさん話を 聞いていたのですか?しかし、知識的には優れているかも
知れません。霊的な目が遮られると二人のようになります。アブラハムも復活の信仰は最初からありませんでした。
一人の子イサクをいけにえとして捧げることが出来るまでは25年かかりました。エマオという村に行く二人は
表情を見て下さい。「イエスは、「歩きながら、やり取り しているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。」二人は暗い顔をしたと書かれています。復活を信じない人の姿であります。
二人は主イエスに失望していたのであります。19節「
イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。