2024年12月15日 ヨハネ17:14-17

武庫川教会 0 4

 

(待降節第三週)   

ヨハネ17:1417

   真の聖誕準備


本日は待降節第三週目を迎えました。

待降節はもちろん、主がこの地に来られた真意を思い起こし、主を私たちの心と家庭と教会に完全にお迎えすることで、主が くださる命の恵みを充分に享受し、主が来られた真意を世の中に明らかにし、彼らもその恵みを享受できるように準備する期間です。

それでは、どうすれば主を私たちの心の中に完全にお迎えし、その恵みを完全に享受し、主の栄光を現すことができるでしょうか。それは言うまでもなく、まず主が誰なのか、なぜ来られたのかを明確に知る必要があります。王様が私の家に来られたのに、その方が誰であるかを知らなければ、どのように王様の礼をすることができるでしょうか。また、もし王が私に高い席を一つでも与えようと思って来たのに、私は高い席など必要なく、お金や一袋をくれと言ったら、お金や地位はおろか、王の怒りだけを誘発することになりませんか?イエス様も同じです。イエス様が誰であるかを正しく知らなければ、正しく受け入れることができず、たとえ自分の思い通りに受け入れたとしても、イエス様が来られた真の意味を知らなければ、間違ったことだけを期待して何も得られず、失望感に陥って主を離れることになり、結局、主の怒りだけが残ることになるのです。しかし、残念なことに、世の中の多くの人がこのような姿を持っています。まず、イエス様が誰であるかを正しく知りません。ある人はただ聖人君子だと言って、ある方は、私たちがお互いに愛し合い、平和に生きるために来られた方だと考えています。

また、健康や物質的な必要を満たしてくださる方だと考える人もいます。つまり、罪と無知の中にある人生のために、十字架の死を通して罪から赦されて永遠の命を得るために来られたのです。なぜなら、それが人類がこの地上でも永遠の栄光の国でも、永遠に生命の豊かな恵みを享受する道だからです。

この問題が解決されなければどんなに物質的に豊かになり、知識と文明と科学が発達しても、この地上でも真の命の喜びと恵みと自由を享受できず、さらに永遠の苦痛の中に置かれるしかないからです。唯一の命の主として来られたイエス様を正しく知り、信じて受け入れ、永遠の命の恵みを得たら、その後は、世の中で固まったすべての歪んだ邪悪で醜いもの、自分のすべての理性、経験、知識、貪欲、利己主義をすべて捨てて聖なる生活をしなければなりません。

そうすれば、主と私たちの間に完全な交わりができ、主の中にある命の恵みを完全に享受できるようになるのです。

 

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