(待降節第二週) マタイ1:18-25 |
苦難の中で迎える
本日は待降節の第二主日です。
イエス・キリストがこの地に生まれたクリスマスは、歴史上最大の出来事です。それは、神様が人の体を着てこの地に来られた奇跡であると同時に、罪と死に囚われていた人生にとっては、最も大きな霊的な祝福でした。また、神様の側からもこの出来事は、これ 以上ない大きな出来事でした。まるで初めに天地を創造された神が栄光を受けたように、堕落した世界を再び創造する第2の創造でした。それで羊飼いに現れた天使たちが歌ったように、「天では 栄光、地では喜びを着た者の中で平和である」と歌いました。
しかし、そのような栄光と喜びの出来事の裏側には、途方もない苦しみと痛みが隠れています。イエス・キリストによって今日、私たちが喜び、喜ぶことの裏側には、独り子をこの暗い世界に送らなければならない神父の苦しみがあったことを考えて見ましたか?さらに進んで、私たちと性情が同じヨセフとマリアの胸の痛むような痛みと骨の折れるような従順の犠牲が隠されていることを考えて見ましたか?この祝福された季節の裏側で苦しんでいた従順な人々のことを考えてみようと思います。
そこで私たちは、このクリスマスがどれほど偉大な祝福であるかを新たに発見することができるでしょう。
そして、今日、様々なことで苦難を経験している聖徒の方々には、神の慰めがいっぱいありますように。本文を要約します。神様は救い主イエス様をこの地に送る時に、マリアという処女を使うことに決めました。主はこのような事実をすでに700年前にイザヤ預言者を通して預言しました(イザヤ7:14)。マリアの心は苦難の中で神様のご心を受けていたではないでしょうか?聖書は詳しくは説明がありません。
マリアの心を考える待降節なりたいのです。