フィリピ2:1-8
このことを心がけなさい
本文の1節「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、」
この言葉は条件付きの言葉のように見えますが、ヘブライ語原文には必ずあると書かれています。
イエス様と親しくなると、まず勧め、慰め、交わり、憐れみと憐れみがあるそうです。このようなものがキリストの中にいれば得られる利益だと言われています。
今日も同じで、私たちにも同じように必要なものです。
今日、私たちが人間関係のせいで職場や学校で、教会でも、人間関係のせいでどれほど苦しいことが多いでしょうか?私たちの交わりがどれほど重要か?私たちの交わりが与え合う関係になってしまうと、どれほど寂しいか?しかし、キリストの中には優しさと憐れみ、愛があるのです。私たちにこのようなものがどれほど重要なのか?私たちには傷と裏切りなどがあるが、主が与えて下さる憐れみと赦し、励まし、このようなものがどれほど頼もしく、力になっているでしょうか?キリストと結ばれる関係、キリストと親しくなる関係によってなされるのです。私たちが人間関係によって、人の集まりに出るのが嫌になり、人の前に立つのが嫌になります。教会の中にも、主の仕事をすると奉仕しているのに個性が違い、そして濡れ衣を着せられ、誤解を受け、教会奉仕もできずに教会を去る事件がどれほど多いでしょう。
誤解を受け、教会奉仕もできずに教会を離れる事件がどれほど多いか? それで、教会の礼拝だけ捧げて行く人がどれほど多いか?お互いに心を通わせ、自分の心を話すことができる共同体になれば、どれほど良いか?
キリストと連合し、キリストと親しくなれば恵みがあるということであります。私たちが主から受けた勧め、慰め、交わり、憐れみと慈悲、このようなことをキリストと連合することで享受することができるのです。
皆さん、今、このようなものを享受していますか?
キリストの心がける信仰者になりましょう。