キリストの働き人
コリント第一4:1-5
3節「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、 人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。」
このように言えるのはパウロはいつも主を仰ぎ見ていたからであります。裁くのは人間ではなく、神様であることで
あります。しかし、神様を仰ぐ人は人のことは裁きません。パウロは自分で自分のことすら裁かないと言うのであります。4節「自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。」パウロは正しく裁く方は主イエス
キリストであることをはっきりと語っています。
一般的に人は人のことを気にしますが、イエス様のことは
意識しなくて生きています。誤解は神様が解決して下さいます。自分がしてないのに誤解されると心が苦しくなります。自分が人々から非難を受けている時、なぜ、自分が
非難を受けているのかを吟味する必要があります、
しかし、そこで罪があることが気づけば、悔い改めることであります。信仰生活が長い人でも人々から誤解されたり、非難を受けるとつまづくのであります。
ですから人は非難やほめる言葉には敏感であります。
1-2節「こういうわけですから、人はわたしたちを キリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。」
パウロはここで自分を紹介しています。パウロは自分はキリストに仕える人であり、神様の福音の管理者でもあると
言われています。つまり、いつも主を仰ぎ見て、御言葉に
従って行くの人であると言うことであります。
5節「ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」
私たち自分の家族や周りの人のことを100%知る人も
いません。わずかなことしか分かりません。
100%知っている方は神様のみであります。
人間はだれでも偏見と潜入観をもっています。
ですから私たちの判断基準は正しくありません。