待降節(アドベント第一週)
わたしの民を慰めよ
イザヤ40:1-8
本日、2018年度の待降節(アドベント第一週)を迎えれました。マザーテレサはこの世で一番大きな病は結核や重い皮膚病ではなく、誰も面倒せず、誰も慰めてくれる人がいないこと、誰も愛してくれず、誰も必要としないことが一番恐ろしい病であると言われました。この世にはパンがなくて死ぬ人も居ますが、愛がなく死んで行く人もいます。教会は毎年聖誕節を迎えます。皆様は聖誕節の意味をどのように理解し、受け入れているでしょうか。40:1節「慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。」
何を持って慰められたらよいでしょうか?もしかしたらそれが「パン」、あるいは「職業」かもしれません。このようなことより「希望」が一番よい慰めでは
ないでしょうか。今日の本文ではメシアの待望です。
5節「主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」、信仰者にとって一番よい慰めは未来への希望です。
ルカ15:11-32節に書かれている「放蕩息子」の
話は息子が帰ってくる、彼は未来のことを考えました。彼は未来に対する確信がありました。それを
信仰であると言われています。そして、彼はお父さんの約束を信頼しました。お父さんの心が広いことも
覚えていました。彼のお父さんは過去のことを聞かなかったのです。イエス・キリストの福音を受け入れる
ことは謙遜になることです。パリサイ派的な高慢は
いけません。自分を低くすることにより主イエスを
迎えやすくなります。福音を受け入れることに何の抵抗もありません。あなたの罪が赦されたことも受け入れやすいです。そうするためには心が貧しいものに
ならなければなりません。これから聖誕節を迎えて
希望をもって行く信仰者になりましょう。